長野県のホームセンター・綿半ホームエイド(わたはん)、ご存知ですか?
地元の人(長野県民)しか知らないホームセンターと思いきや・・・
最近では東京都や他へも進出する、数少ない信州発のチェーン店です。
しかもJマートまでも綿半になっています!
安いから?いろんな場所にあるから?好調の理由はどこにあると思われますでしょうか…??
なぜか、大ヒットしたあのアニメ映画「君の名は。」と「綿半」が関係があるとのことで、それも調べてみました。
アニメファンならずとも、ぜひご覧ください!
もくじ
綿半ホームエイドとは?綿半Jマートとの違いは?どんなお店で、どの場所にある?
「綿半ホームエイド」とは長野県を中心にホームセンターをチェーン展開する企業です。
キャッチコピーは「Enjoy Life 綿半ホームエイド」。
長野県民なら、あのCMソングが頭に浮かんでしまうかも…
元々は長野県南部の飯田市で創業した、創業400年を超える超老舗企業なのです!
織田信長の時代(安土桃山時代)に綿の商いから身を起こし、やがて金属、建材の問屋、建設業を経て、1977年にホームセンター事業へ進出、現在に至ります。
「わたぴー」というマスコットキャラクター(ゆるキャラ)がいて、LINEスタンプも販売している子供に人気のキャラクターです。
お店の値札にも「わたぴー」がいてお店に行くとほっこりした気分になれるかも?
ホームセンター業態の綿半ホームエイドは8店舗(長野県内7店舗、愛知県内1店舗)、ホームセンター業態に生鮮食料品まで取り扱っている綿半スーパーセンターは12店舗(長野県内10店舗、東京都1店舗、岐阜県内1店舗)あります。
Jマートは東京都三鷹市で設立され、関東西部でホームセンター事業を展開していたお店です。
売り上げの低迷などから2016年11月に綿半ホールディングスの完全子会社となり、綿半グループに仲間入りを果たしました。
2017年に社名を「Jマート」から「綿半Jマート」に改称しています。
綿半Jマートは11店舗(東京都内1店舗、山梨県内5店舗、埼玉県内2店舗、長野県内2店舗、神奈川県内1店舗)あります。
綿半Jマートは埼玉県以外は主にJR中央線沿いに立地していますね。
綿半ホームエイドと綿半Jマートの品ぞろえの違いは?どちらが安いのか?
綿半ホームエイドは一般的なホームセンターの品揃えと変わりはありません。
ただし、長野県の企業なので、農業系の品揃えは比較的豊富だと思います。
価格も比較的安価だと思います。
一部の綿半ホームエイドには綿半スーパーセンターという名前の店舗がありホームセンターの品揃えに加えて生鮮食品まで取り扱う品揃えです!
1つのお店でいろいろなものが変えるから便利ですね!
綿半スーパーセンターは休日の日中には駐車場が満杯になることも!
綿半Jマートはまだ綿半グループに統合されてから日が浅いため、品揃えはJマートの雰囲気を濃く残していますね。
Jマートはもともと、世界各国の厳選商品の海外直輸入や輸入家具を取りそろえ、高価格品を扱っていました。
またガーデニング・ペット・DIY・ホビー・収納インテリアなどの専門誌が中心の書籍類を扱っています。
そして、ペット関連の商品がは特に充実しています。
綿半Jマートでは、綿半グループに入ったことで、Jマートの品揃えに加えてホームセンターの一般的な品揃えにも力を入れている感じですね。
一般的な品揃えの値段はあまり綿半ホームエイドと変わらない気がします。
綿半と映画「君の名は。」が関係あるって本当?
大ヒット映画「君の名は。」のワンシーンに登場する「綿半野原ビル」は新宿区四谷にある綿半グループを統括する持株会社の綿半ホールディングス株式会社の本社ビルです。
信州人なら、「これはあの綿半?」ときっと反応してしまったでしょう。
私もその一人です(笑)
信州以外の人ですと、「綿半って何?」との反応かもしれませんが・・・。
JR中央線・四ッ谷駅を降りて西の方を見てみると、「君の名は。」の中で一際ビルの名前としては目立っていた「綿半野原ビル」の看板のロゴが見えるはず・・・。
現在は商号が「綿半」に変わったこともあり看板は「綿半」に変わっております。
しかし、映画で描かれた位置に「綿半」の看板が見えるはずです。
なぜ長野県の企業の「綿半」の総本山が新宿にあるのかは。。。
実は信州と新宿は江戸時代から関係が深いから、なのかもしれません。
新宿御苑は高遠藩の下屋敷が長くあった土地なんです。
その経緯は、戦国時代末期の徳川家康が江戸に移封された直後の1591年に譜代の家臣内藤清成は、多年の功績を認められ、現在の新宿御苑の土地に屋敷地を拝領しました。
その後、7代内藤清枚(きよかず)の時に、領地を信濃に移され、3万3千石の高遠城主になりました。
これ以降、明治時代に入るまで高遠藩の下屋敷が新宿御苑に長年ありました。
また、元禄11年(1698)に、幕府は内藤氏の広大な下屋敷の一部を返還させて、町屋とともに馬継ぎの施設を設けて宿駅としました。
これが甲州街道最初の宿駅で、内藤家の屋敷跡に新設された宿駅のため「内藤新宿」と呼ばれるようになりました。
つまり、高遠藩の土地(下屋敷)の一部が現在の新宿の始まりだったんですね。
甲州街道と言えば、江戸時代の五街道の1つで、諏訪湖と新宿は結ばれており、信州と新宿は江戸時代から結びつきは強かったですね。
そのため、長野県で創業した綿半グループの本社が新宿御苑近くの新宿四谷に構えているのかもしれませんね
こんな長野県と新宿の結びつきから、JR中央線沿いに店舗を構えるJマートを綿半グループが買収したのかもしれませんね。
まとめ
長野県を中心に展開するホームセンター・綿半ホームエイド。
大ヒット映画「君の名は」との意外な関係性も明らかになりました。
「君の名は」のどのワンシーンに「綿半野原ビル」が登場するか探してみるのも楽しいかもしれませんね。
また、綿半グループの歴史と長野県と新宿の結びつきに想いを馳せてみるのも良いかもしれませんね!